介護の道も一歩から 

介護のことを中心に、高齢問題・福祉・老後準備、それに纏わる時事を書いています。

利根川心中事件、を読み解く

 

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http://www.ashinari.com/ フリーフォト

2016年6月26日

(2016.11.10 再編集、加筆・訂正)

 

おはようございます。

このブログの名前を考える時に悩みましてね、私自身いいおっさんになってからの初ブログです。考えた末「介護の道も一歩から」にしたわけです。

 

千里の道も一歩から・ローマは一日にして成らず、を意識して考えました。

私がブログを書くこと自体、PCの勉強から始めないといけないレベルのスタートだった事もありますが、「介護」の問題は勉強すればするほど解決の難しい問題で、それこそ「一歩づつ」がキーポイントかな?と思いこのブログ名にしました。

 

思うのは、一人の一歩は正しく一歩分しか進みませんが、1000人の一歩は1000歩分・10万人なら10万歩分の進みがあるのではないかと思います。

そんな気持ちで、何か解決策はないかを考えながら今後も書いていきたいと思います。

利根川心中事件】

 埼玉県深谷市などを流れる利根川で2015年11月、藤田慶秀さん(74)、妻のヨキさん(81)が水死した一家心中事件です。殺人と自殺幇助の罪で三女の無職、波方敦子被告(47)が逮捕・起訴されました。

 

※この説明を読んだだけで、介護が背景にあるのは読み取れますね。

【事件の背景】

一家は、お父様とお母様と敦子被告の三人暮らしです。お母様は認知症パーキンソン病を患っていました。お父様は新聞配達の仕事をして一家を養っていたようですが、2015年秋ごろから頸椎が圧迫された事が原因で、手足がしびれて仕事が出来なくなります。最終的に一人では歩くことが出来なくなっています。

 

※つまり、両親二人とも介護がいる状態で無収入になったと言う事ですね。

この記事は、産経新聞6月25日16時配信を参考に書かせて頂いておりますが、ご両親の年金については確認出来ませんでした。

 

筆者も両親のW介護の時期もありましたが、経済的には両親の年金があったので、なんとか乗り越えられました。

ここからは私の推測ですが、ご両親は無年金か低年金であったのでしょう。

パーキンソン病

パーキンソン病(パーキンソンびょう、英: Parkinson's disease)は、錐体外路症状を示す進行性の神経変性疾患である。アルツハイマー病と並んで頻度の高い神経変性疾患と考えられている。日本では難病(特定疾患)に指定されている。本症以外の変性疾患などによりパーキンソン様症状が見られるものをパーキンソン症候群と呼ぶ。40歳以上の中高年の発症が多く、特に65歳以上の割合が高い。

出典:ウィキペディア

 

特定疾患に指定されていたのなら、何らかの助けは無かったのでしょうか?まだ筆者自身も勉強不足で、分からないのですが、敦子被告は情報弱者に陥っていたことは推測出来ますね。

敦子被告の生い立ち

敦子被告は高校を中退後、いくつか仕事をしていますが続いていません。

自身は「仕事中に人の目が気になった」と発言しており、これが退職理由のようです。

退職後両親の元で暮らし、お母様が2003年ごろから認知症パーキンソン病を患うようになっています。

お父様は、敦子被告が幼いころ一度蒸発しており、約20年前から再び三人で暮らすようになっています。

 

※人と自分を比べると幸せになれないと、よく言われますがそれが難しいのが人間ですね。敦子被告は学歴からくるコンプレックスから逃げれなかったのでしょう。

2003年からお母様の介護が必要になっていますが、事件は2015年…12年、長いですよね。介護は育児と違って先が読めない、正にそうですよね。

 

お父様は、破天荒な一面をもっていたようですね。ここから推測するに、やはりご両親とも年金は、まともに掛けて無かったのでは、と思います。

【引き金】

2015年11月18日、お父様が話を切り出します。

夕食時に、他愛も無い会話をしているとお父様が「あっちゃん、一緒に死んでくれ」と、「お母ちゃんだけ残しても可愛そうだから、三人で一緒に死のう」と…

傍らにはお母様も居たようですが、会話の内容は理解出来ていなかったようです。

で、敦子被告はすぐに答えたそうです。「いいよ」と。

 

※書いているだけで、胸が詰ります。実はこの前日に敦子被告は生活保護の窓口に相談に行っています。被告なりに解決を模索していたのでしょうが、残念です。

 

翌19日に、市役所の職員が生活保護審査の為、被告宅を訪れています。

家族の生い立ち、これまでの自分について細かく聞かれ「仕事を転々として、高校も中退で惨めだと思ったけど、父も同じような感じで。親子で似たような人生だと、また惨めに思った」と証言しています。

 

※大変皮肉なことですが、この調査をきっかけに敦子被告は死ぬ日を早めようと決めたと言います。

【かねてから自殺場所を決めていた】

お父様は、電車に飛び込む事を提案したそうです。

敦子被告は「遺族への賠償金が高いから」と反対し、以前から自殺するなら利根川と決めていたそうです。二人の姉に迷惑が掛からないようにと考えたのでしょう。

 

※二人の姉は何をしていたのか!と批判するのは簡単ですが、おそらく当事者にしか分からない色々な事情があったのだと思います。ただ、三人姉妹なので、被告だけが抱え込んだのは残念ですね。

【実行に及んでしまう】

敦子被告は利根川の川縁で、自分と父の携帯電話を折って壊し、財布の中身を川に投げ捨てています。

 

※この世との、お別れの儀式に感じられますね。

 

そして、車のスピードを上げて川に突っ込んでいきます。その時、後部座席のお父様は「あっちゃん、ごめんな」と言ったそうです。

突っ込んだ車は、水没しきれず敦子被告が外に出て車を押しました。しかし、車は進みませんでした。車内で水に浮かんだ両親を窓から出しました。

 

※ここが最後の思いとどまり所だったでしょう。

 

しかし、敦子被告は右手に父親、左手に母をつかみ深いほうへと進んでしまいます。

お母様は、車内では「冷たいよ、冷たいよ」と繰り返し、深みへ連れられる時には「死んじゃうよ、死んじゃうよ」とばたついたようです。

 

父が手から離れ、母は動かなくなりました。

 

敦子被告は死に切れず、浅瀬に辿り着いて母の遺体が流れていかないように見守りながら、空を眺めたり・歌を歌ったり・うたた寝をして夜を明かしたそうです。

 

【判決】

敦子被告は懲役四年の実刑判決を受けました。

 

※この判決が適切なのか、私には分かりません。

この時、裁判長から裁判員からのメッセージが読まれています。

 

「仲良く暮らしたときのお父さんお母さんの顔を忘れることなく毎日を大切に生きてください」

 

裁判員の方には失礼ですが、このメッセージは私にはピンときません。

あなたはこの事件どう感じましたか?介護ブログを書いている身として、色々考えさせられました。今日の記事は長くなってしまいました。

いつもは、読みやすさも考え500文字~1000文字を目安にしていますが、3000文字近くに達してしまいました。

フォトもなく、読みにくかったと思います。すみません。

最後まで読んでくれた人がいたなら、ありがたいです。

(参考資料、産経新聞6月25日16時配信)

 

それでは今日はこんな処で。

   byおしょぶ~